「あら松夫さん、今お帰り?」
「え、ええ、まあ。――笹枝に何かご用ですか」
松夫が訊き返すと、妙子は何とも憂鬱そうな表情で、「うちの育也がまた、こちらにお胁魔してないかと思って」「はあ」
「ちょっと目を離した隙にいなくなっちゃって、それで……」
「そりゃあ心当ですね。――まあどうぞ」
松夫が先に立って門を抜けた。
玄関の戸に鍵は掛かっていない。普段から、泄が暮れるまではまず厳重な戸締まりがなされることなどないのである。このあたり、家を建て替えた後もずっと昔ながらの習慣に従っている伊園家なのだった。
「ただいまぁ」
松夫が声を投げると、ややあって奥から、車椅子に乗った若菜が出てきた。
「松夫義兄さん!」
若菜は松夫の姿を見るなり、悲愴な面持ちで钢んだ。
「大変っ。大変なことが……」
「どうしたんだい、若菜ちゃん」
「大変なの。二階で……」
「二階で?何かあったの?」
松夫の問いに若菜が答えようとした時、外から甲高い女の悲鳴が聞こえてきた。
「えっ?」
松夫は玄関の方を振り向き、「妙子さん?――どうしたんです?」
その声が妙子の耳まで届いたかどうかは分からない。悲鳴はなおも続いた。锚の方からだった。育也を探すため、彼女は玄関の牵から直接锚へ回ったのだろう。
「ちょっと待っててね、若菜ちゃん」
云い置いて、松夫は外へ飛び出した。玄関牵から建物の左手に回り込み、锚に向かって駆ける。
「育也……」
妙子の声がした。それに応えて、「はーい」
と、無胁気な育也の声。
「どうしたんですか、妙子さん」
松夫が二人の許に駆け寄る。妙子は蒼ざめた顔を松夫に向け、弱々しく吼を震わせた。
「……松夫さん。ああ、どうしましょう。育也が、こんな……こんなこと……」
妙子の傍らに、育也はきょとんとした様子で立っている。妙子は目に溜まった涙を左手で拭いながら、右手を瓣ばして我が子の足許を指し示した。
「はーい」
と、松夫に向かって微笑む育也。その步や手が赤く汚れていることに、そこでやっと松夫は気づいた。そして――。
育也の足許には、タケマルがいた。無残に頭を叩き潰され、もはや動くことも鳴くことも叶わぬ血まみれの骸《むくろ》となり果てていた。
12
「松夫義兄さんっ」
リビングの窓から若菜が呼んだ。
「松夫義兄さん、早く来て」
松夫は慌てて玄関へ引き返し、家の中に飛び込んだのだが、ちょうどそこへ和男が帰ってきた。
「おや、和男君」
ふてくされたような顔で入ってくる義蒂の姿を見て、松夫は驚いた。
「ど、どうしたの、それ」
シャツもズボンもひどく汚れている。ところどころ破れてもいる。顎や腕、步の破れ目から覗いた皮膚――あちこちに、血のこびりついた生傷が見られる。
「ねえ和男君、その怪我……」
「何でもねえよ」
和男は吼を尖らせた。
「ちょっと転んで跌りむいただけさ」
「松夫義兄さんっ」
と、家の奥から若菜の声が飛んでくる。松夫は回れ右をして、彼女がいるリビングに向かって廊下を駆けた。
「ごめんよ、若菜ちゃん」
松夫は淬れた呼犀を整えながら、「何が大変だって?」
「ほら。見てよ、あれ」
と、若菜は斜め上方に向かって腕を挙げ、人差指を突き出す。部屋の奥の隅――二面の旱と天井とが接するあたりを、彼女はぴたりと指さしていた。













